大倉忠義とシムチャンミンは似ている
「時間が経って前を向いたときに、ちゃんと僕たちがそばに立っていられるように、笑顔で迎えられるように、準備をします*1」
よく似ている。
あえて言うと、私は大倉担でも、チャミペンでもない。
もちろん、二人のことは大好きで、他のメンバーと同じほどに好きなのは間違いないが、この人は私の「推し」だ!と言えるわけではない、ということだ。
10年ほどお隣の国の2人組を追いかけてきた女が、突然関西のお兄さんたちの虜になった、そんなドドド新規が語っているだけなので、いろいろと認識不足なところがあるかもしれません。
似ている、と感じ始めたのは、まだ記憶に新しい、渋谷すばるさんの脱退記者会見の日。
大倉さんどころか、私の中で関ジャニ∞というグループは、名前を知っている程度の存在でした。
脱退という話題にも、驚きはしたもののそれ以上の特別な感情を抱くようなことではありませんでした。
ただその記者会見で、私は不思議な感覚というか感情というか、衝動に似たざわつきを感じたのです。
情報番組で会見での彼の様子を見かけるたび、“それ”は確信めいたものになっていきました。
彼は怒っているんだ、と。
何の事情も知らないニワカながら、そう思いました。
いつかのチャンミンと、重なったのです。
いつか、とは、2009年紅白歌合戦でした。
10年経った今でも、決して忘れられないあの日。
一応補足しますと、2009年は元メンバーである3人が、所属事務所へ『専属契約の効力停止仮処分申請』を提起した年で、ユノとチャンミンに至っては、翌年2010年からのスケジュールが白紙という現実。
そんな中で、5人としては最後のステージとなる紅白歌合戦とCDTV。
特にチャンミンは、頬がこけ表情もなく、何の事情も知らない人からすると、異様な光景だったと思います。
不自然なほどセンターから目を逸らし、背を向け、どこか遠いところを見つめる鋭い眼差し。
そして私は、こう思ったのです。
「あ、チャンミンは怒っているんだ」と。
本当のところは、わかりません。
ただ、当時の状況に疲れ切っていただけだったのかもしれませんが、私にはそう見えました。
今自分が置かれている状況に、怒りを感じているんだと、そう思いました。
案の定、「やる気がない」だの「態度が悪い」だの、チャンミンは叩かれることになりましたが、私はそんなチャンミンにものすごく救われたのです。
いえ、私だけではないと思います。
チャンミンの、遠くを見つめるその瞳に「未来」を感じたのです。
これで終わる気はないんだ、と。
そして、なんてかっこいいんだろうと、そう強く思いました。
大倉さんにしてもチャンミンにしても、「誰に怒っている」とか、そういう次元ではないと思います。
ただ、今の状況に、「自分が」怒らなければいけないと思ったんだと、私はそう認識しました。
それは、彼らは「末っ子」だからです。
リーダーないし最年長にとって、「怒る」という選択はなかなかに難しいものです。
なぜなら、彼らにに対する世間の目は、他のどのメンバーより厳しいから。
「リーダーだから」「最年長だから」と、枷を課す言葉を、私は何度も耳にしてきました。
それをきっと、チャンミンも大倉さんも、理解しています。
あのときのチャンミンと同じ顔で、「勝手な決断をしたすばるくんのことを嫌いになれなかった」と語る大倉さんは、すごく、かっこよく見えたのです。
大倉さんが怒ってくれたおかげで、救われる人がたくさんいたんじゃないかと、当時の私は思いました。
それから、波に飲まれるように彼らの過去を遡り、ライブにも行くようになりましたが、ぽつりぽつりと「似ている」と感じる瞬間があります。
それはもう一つ、悩める子羊“だった”ところです。
大倉さんもチャンミンも、家では長男なので、末っ子らしい末っ子気質だとは思いません。
ただ世間に求められるのは、末っ子らしい振る舞いでした。
「らしい」って何だってハナシではあるんですけれども。
Tvn madという、チャンミンが初めて一人で進行役になったテレビ番組。
その番組内で言った、印象的な言葉がありました。
「チームで私の占める比重はそんなに大きくありません」
確かに、チャンミンがそう感じていたのも、よくわかります。
真面目で実直、グループの中心であり絶対的なリーダー。
美しい歌声や中性的な容姿と、サバサバとした男らしさを持ち合わせる美男。
儚げで妙に色気のある、どこか放っておけないアンニュイな男。
圧倒的な歌唱力と子犬のような愛らしさが共存する努力家。
一方で、どこか普通っぽい男の子。
末っ子らしく可愛く振る舞おうとしても、どういうわけかしっくりこない。
自分の個性やキャラクターを見い出そうともがいていた彼は、「自分はグループで一番人気がない」と思っていたんだと思います。
番組での言葉も、謙虚だと言われていましたが、きっと本心だったのでしょう。
お兄さんたちの強すぎる個の中で、彼は迷っていました。
でもチャンミンは、文字通り“最強”でした。
そんな状況に腐ることなく、持ち前の聡明さで彼だけの居場所を見つけました。
そんなチャンミンの言葉で、大好きな言葉があります。
僕たちを太陽だと思ってくれるとするなら、ひまわりみたいに太陽を絶対的な存在に思わないでほしい。
アーティストはファンの人生においては、現実的な支えやパートナーにはなれないし、ステージや作品で期待に応えることはできたとしても、それぞれの生活や未来の責任は持ってあげられないから。
一見冷たい言葉に感じるかもしれませんが、私は、この言葉に何度も救われてきました。
彼らとの境界線が薄くなってきたと思うときは、いつもこの言葉を思い出します。
対して、関ジミ3と呼ばれた3人の中の一人。
一番最後にメンバーになった、うさぎのような前歯の可愛い男の子。
特に大倉さんは、途中から最年少になったので、自分の立ち居振る舞いに迷っているように見受けられました。
チャンミン同様、末っ子らしくわがまま可愛いキャラを目指そうとしていたのではないか、と。
ただ大倉さんは、それこそ「若頭」でした。
前に立って盾にもなるし、特攻隊長にもなれる器の人でした。
「十五祭」のライブはですね、セットリスト、細かい演出まで、初めてすべて僕が担当しました。
何一つ嘘はついていないつもりですし、全ての演出に意味を持たせたつもりです。
なのでメンバーは何にも悪くない。
納得いかないことがあるなら僕の演出が間違っていたということです。
責めるなら僕を責めてください。
ただ僕の横には仲間がいます。
重い荷物を分けて持ってくれる頼もしいお兄ちゃんたちがいます。
「おーくら!」と、お兄さんたちに言われ続け、バラエティでもお人形さんのように座ったまま後列でうっすら笑うだけだった男の子が、こんなに頼もしく前を歩くようになったなんて、泣けてきやしませんか。
私は前にも述べたとおり、渋谷さんの会見のときは「大倉さんに救われたファンがいるのでは」と漠然と思っていました。
それこそ他人事のように。
そして今、私は初めて、関ジャニ∞のメンバーが一人いなくなるという現実に直面し、あのとき感じたものは間違いではなかったのだと、確信しました。
私は大倉さんに救われました。
ファンの目線に立って、「みんなはまだ立ち止まってもいい」「泣いててもいいから」と語ることのできる大倉さんに、心の底からありがとうと思いました。
彼は、彼の言葉が持つ力をきちんと理解し、それを惜しむことなくファンへ注いでくれる。
錦戸さんが多くを語らない人だからこそ、なのかもしれません。
少しだけ弱音を吐くと、私は、もっと錦戸さんの思い出がほしかった。
男前なのに可愛くて、まっすぐで、繊細で、嘘のない彼の思い出が、もっともっとほしかった。
ただ、関ジャニ∞はこんな私にも、これからも磨き続けられる大切な思い出を最後にくれました。
それは、6人の『crystal』をこの目で見られたこと、この耳で聴けたことです。
私は、crystalは錦戸さんの歌だと思っています。
「僕らは旅人」。
行く先は違えど、彼らの旅路は終わらないんだと、きらきら光る舞台であの曲を歌った6人の姿が頭から離れない。
いいよね、大倉くん。
今は振り返っても。
また笑顔で会えるなら。